CREATIVE MUSEUM TOKYOで、展示替え期間を利用して開催するイベントの第一弾として、「Creative Talk 展覧会をつくる人たち」と題したトークイベントを開催しました。
3月12日には、「石岡瑛子展」(東京都現代美術館)、「ミナ ペルホネンfeel to see」(SPIRAL青山)、「YUMING MUSEUM」(TOKYO CITY VIEW)、「Sony Park展 KYOTO」(京都新聞印刷工場跡)などの会場構成に関わった建築家・空間デザイナーの阿部真理子さんが登場。これまでの仕事の内容やお題との向き合い方などを深掘りしました。
阿部真理子さんプロフィール
ロンドン・メトロポリタン大学建築課程修了後、隈研吾建築都市設計事務所、DGT Architectsにて、アジア・ヨーロッパ圏のプロジェクトを担当。2016年に帰国し、幅広い分野で空間デザインを行う。展覧会の仕事として、国内外の美術館でのストーリーを伝える全体構成を得意としつつ、会場の特色を生かすダイナミックな空間創出を心がけている。
――今日のトークでは、阿部さんが展覧会でどんな風に空間構成するのか例をあげて紹介したいと思います。こちらは、「YUMING MUSEUM」のプレゼンの時の資料ですね。会場入り口の象徴的な展示の部屋です
会場のTOKYO CITY VIEWは展望台でパブリックスペースでもあります。天井が高く、下に見える景色だけでなく空も見えるため、上に広がっていくような感じの展示が作れないかと思ってイメージを作りました。楽譜が宙に舞うイメージと、展望台の丸い感じ、そして時間みたいなのを掛け合わせたデザインで提案しました。この段階で、ユーミンさんの楽譜が実際残っているかどうかも分からない状況だったのですが(笑)
――このイメージから、展覧会のグラフィックデザインを作成するデザイナーの森本千絵さんがラフを描いて、この絵を見た松任谷さんがそれを気に入って、そのままポスターになったと聞いています。なので、阿部さんの展示案が起点になって、YUMING MUSEUMを外に出すイメージが広がっていったと言えますね。

展覧会の空間構成は、あらかじめ展示するモノが決まっていて、それをどう見せるか、例えば壁の色をどうするかとか、ケースをどう置くかって仕事と思われがちかもしれないですが、阿部さんの仕事は、こんな風に展覧会の空気を大きく作っていく仕事がとても多い。今日は具体的なお仕事を振り返りながら話をうかがいます。次は今年1月に青山のスパイラルで開催された安達建之さんの「LION NIGHT(ライオンナイト)」のお仕事です
昨年亡くなった槇文彦さんが設計したスパイラルは、日本ではあまりない“土足で”どんどん入ってこられる気軽な雰囲気で、展示ギャラリーもパブリックスペースの延長にあるんですよね。隣あうカフェスペースと、誰でも無料で入っていけるアプローチなど、パブリックな部分が大きい空間です。この展示では、カフェから見た時に等身大のライオンがどういう大きさで見えるかを考えて構成しました。
この展覧会では、写真のサイズや配置も含めて、作家さんからお任せ頂き、私の方で決めたんですけれども、夜明けからライオンが寝て、裏側に行くと朝焼けの写真が写っているっていう構成にして、スパイラルの吹き抜けのスロープを水平線のようなグラフィックで作りました。展示会場だけでなくて、その周辺の環境までを含めてデザインを心がけています。スロープに対して写真は水平に展示したので、だんだん山を越えていく感じになったかと思います。
――写真は大きく箱状にして展示していますね。このアイデアはどこから来たんですか
私は基本的に、こういう台があったら面白いとか、こういう吊り方をしたら面白いとかという発想をしないんです。この展覧会の場合は、例えばライオンが見下げてるから上の方にあったらいいよねとか、山の上にあるから横長に大きい方が雰囲気出てるとか、子供のライオンだったら下の方に行ってこっちを見ているショットがいいよねとか、そういうことを意識して配置した結果こうなった感じです。
――スパイラルで手掛けたほかの仕事では、ファッションブランド「ミントデザインズ」の展覧会があります
ミントさんの活動20周年ということで、展示するモノが決まっていてそこから構成や形を考えられる建築家としてではなくて、何を展示するかという所から一緒に考える人を探しているなかで、お話をいただきました。
何が見せたいかも決まっていない状況から始まりましたが、そういう時にはいつも「既にあるものを展示するんじゃなくて、プロジェクト化して1個1個この機会に新しい作品を作っていた方がいいですよね」っていう話をします。実際、この展覧会では、「これまでブランドがこれまでしてこなかったプロセスの解体をして標本みたいに展示するのはどうだろう」という提案もさせていただきました。
標本というテーマを最初つけたことで、展示のタイトルが「Mintpedia」となって、一個一個ドライに紐解いていくコンセプトが決まりました。
ミントさんもデザインに対してドライな考え方を持ってるのが私と一緒で、普通だったらもっと説明したり丁寧な見せ方をしたらいいんじゃないかって思うところを脇において、なるべく面白い新しい見せ方を探ってみようと合意できました。
ミントさんは服は着るだけじゃなくて、見てるだけでも面白いというデザインを目指しているので、マネキンに着せることは絶対ではなくて、むしろモノとしていじってほしいっていう思いがありました。吹き抜けのところに平たく作品を並べるアイデアもそこから出てきた。モノとしてやってきたことの集合体みたいなことを目指しました。
――コンセプトを考えるときから、阿部さんが入ったということですね。
そうですね、これに関しては、そういう意味ではキュレーションをしたということにもなるかもしれません。
――別の展覧会も紹介したいんですが、こちらは韓国にいま巡回している「ミナ ペルホネン つづく」展。ザハ・ハディドの宇宙船みたいな未来的な建築で天井が8メートルぐらいある大空間の会場構成をしてるんですよね。
ミナ展は東京都現代美術館からスタートして兵庫、福岡、青森、台湾に行って、最後韓国に巡回してます。ここは外周がホール空間になっていて、日本の美術館のように可動壁ではなく、位置から仮設壁を建設して空間をつくっています。各地を巡回する中で、ミナを知っていない観客層も踏まえて、どんどん部屋が増えていっています。そもそもテキスタイルが重要なブランドなんだということがわかるよう、今回は真ん中に布の通路を先に作って、その後に洋服が来る順序に変えてます。
東京の時は、「ミナといったらタンバリンのテキスタイルだよね」という前提で部屋が始まっていたんですけど、韓国ではそれだと多分わからないと思うので、まず布の森を散策してもらってから会場を回ってもらう構成にしています。
――阿部さんとミナのご関係は
2015年に「1∞ ミナカケル」という展覧会が開かれた時に、田根剛さんの事務所の担当スタッフとして関わったのが始まりです。そこから様々なところでご一緒させてもらって、都現美の「つづく」展でも、田根さんと一緒に会場構成に関わらせてもらいました。
――現美では、少し変わった展示をされていましたね。普通ならトルソに着せて真ん中に並べるところを、壁にくっつけてしまって後ろが見られない作品もありました。
立体感や後ろのあるコスチュームを重視しているブランドでは全然成立しなかったと思います。ミナさん自体がシーズンを超えたコーディネートの混ざり合いを一気にトータルで見せたいというコンセプトだったからこそ成りたった。
ほかの展示でも考えていることとしては同じで、展示物と鑑賞者が1対1で入り込める状況を目指しています。普通の美術館やギャラリーだと、作品が偉いというか、自分もきれいな服装をして見に行って解説を読むみたいな体験が多いと思いますが、そうではなくて、実際触ってはダメなんですけど、気持ちとしてはもうちょっと作品と人の鑑賞者の距離を近くしたい。自分がそこにあるものを見に行くっていうよりは。すでに何かあるところに、入り込む感じが理想ですね。
そういう意味では、「SonyPark展」も考え方は同じです。これもたくさんのものがある展示で、「順路があって全部見てください」とはしないで、気になったものを見に行く、そこに人がいれば自分も行きたくなる、そんな展示を目指しています。基本的には選んでみてもらう方がいいんだろうなと思っています。
SonyPark展は京都新聞の印刷工場跡地でも22年にやりました。この建物は、床に溝や掘り込みが残っていて、そのなかで映像してもらったりゲームしてもらったりという体験を結構してもらいました。展覧会の会ではイヤホンを刺させたり座らせたり立たせたり自分たちで能動的にやらせてる体験を増やしたいと思っています。SonyPark展ではその事で、観客も運営も回毎に鍛えられ、体験のバリエーションや幅を広げる事に繋がっています。

――都現美の石岡展のエピソードを教えてください
美術館は、学芸員の方が図面を書いて展示案を決めることが多く、空間デザインを外にお願いすることはほとんどしなかったと思うのですが、石岡さんというデザイナーの展覧会をする以上は、デザイナーを入れなきゃということで依頼されたのが始まりですね。
これはコロナの1番大変な時に始まってしまったプロジェクトで、一歩も外に出れないなかで石岡さんが書いた自伝「I DESIGN 私 デザイン」を友達みたいな感じで読んで、全てのキーワードを抜き出して各部屋にプロットして、部屋ごとにどういう空間にしたいかを言葉から作っていきました。
会場構成は石岡さんの人生の順序に沿ってるんです。資生堂から始まって日本で40代まで仕事をして、ニューヨークの大海原に出る。実際の会場では、NY以降は細い通路になって、先が見えないところにしています。
所謂デザインの展示では、説明やグラフィックを充実させたり、写真を大きく貼ったりする思考に行きがちなんですけど、この展覧会でもしていません。石岡さんは、「イリュージョン」という言葉を頻繁に使っている。私もそうなんですけど、自分の存在が前に出たり、プロセスを説明していないんです。映画のために作ってるものは映画のため、舞台のものは舞台のためという意識が徹底していて総合として成果物が良ければ全て良しという考えなので、説明や脚色は少なくし、実物大で感じるということを意識して構成しました。
――お話しを聞いていると、阿部さんのデザインの基本に、感じさせる、体感させるというのがあると思いました
たとえば写真展で言うと、本を見れば全部写真が見られて分かるなかで、わざわざ会場に来ないとできない体験は何かという切り口が最初にあります。そこで、吹き抜けに芝生を張って背景がサバンナみたいなところにしようと思いついて、その1手を体験させるために、どういう風に歩かせて、準備させて、その家から含めてワクワクさせるか、みたいなことを考えていました。
私は本当に細かい方だと思うので、それぞれの写真を撮影した時間帯やエピソードなど質問させてもらいました。
水平の景色が生きるように横長にトリミングしてもらうなど、展示空間に合わせた加工もしてもらいました。
――アイデアを出す方法論は?
たとえば銀座のソニーパークでやっていた「映画は、森だ」展を例にあげると、森に関するリサーチをひたすらやる。グリム童話の森から、俯瞰している森から、切り崩された森から、そういうイメージをひたすら集めて、「森は怖い」とか、「森はたまに開けてる」とか、「森には動物が隠れている」とかディスカッションをして。抽象的なものをみんなで見ている時に、木が1本よりはたくさんあった方がいいとか、遠くから見たら白い方が樹海みたいでいいとか、そういう話になっていくので、最初はスケッチはしないです。レファレンスやリサーチがたくさんあって、それでチームのみんなとブレストしていく間に、5回目ぐらいに原案になるようなアイデアが出てくきます。
私は模型を作ったりする時間が、他のデザイナーと比べて結構多いと思います。最初から例えば自分のテイストがあって、こういうものを作りたいと思ってたっていうものがあるわけではないので。
なので、やっぱりコンセプトについて皆さんと話しながら、基本的にはテストをしている感じですよね。ダメなやつも含めてかなりの量のテストを全部見せてフィードバックをもらう。
そのインプットのようなものをもって、ある日森に行く機会があると、突然要素がくっつくということが多いです。ミナ展の服のかけ方もコンビニでおでんのフックの構造を見ていたらふと思いつきました。ものの構造や人間を観察するのが好きで、それをすごく記憶してしまう。そのストックをつなげいでいくなかでアイデアが出てくることが多い気がします。
