東京・京橋に開業した超高層複合ビル「TODA BUILDING」。そのなかで目玉となる展示施設がCREATIVE MUSEUM TOKYO(CMT)だ。最新技術を駆使して竣工したビルに負けず劣らず、ハード面もソフト面も新世代を体現するという。館長の中山三善(みよし)さんに話を聞いた。

――館長に就任することになった経緯を教えてください

私は2016年に六本木に開館したスヌーピーミュージアムの館長を務めていました。非常に好評で、長く続けたかったのですが、借りていた土地は再開発までの暫定利用地で、2年半の期間限定という条件でした。そのため移転先候補の一つとして、TODA BUILDINGが挙がったのです。戸田建設が本社ビルの建て替え計画の中で、芸術文化施設の設置を予定しているとの情報を得ました。

中山三善館長 インタビュー の画像

最終的にスヌーピーミュージアムは、南町田グランベリーパークに移ることになりましたが、TODA BUILDINGも非常に魅力的で捨てがたかった。

そこでスヌーピーミュージアムとは別に、芸術文化施設のコンペにも、ぜひ参加させてほしいと戸田建設に申し入れをしました。実はこの時、すでに今のCMTと語順を変えただけの、「TOKYO CREATIVE MUSEUM」という名前で応募したんです。

――提案は、中山さんお一人でされたんですか

いえ、ソニー・クリエイティブプロダクツと一緒です。同社は、日本におけるスヌーピー(コミックのタイトルは「Peanuts」)のライセンス管理をしている会社です。当時の社長さんと相談して、「運営者募集のコンペに参加しましょう」ということになったのです。

――TODA BUILDINGのどこがそんなに魅力的だったんでしょうか

私は、お隣にあるブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)の元学芸員で、京橋周辺はよく知っていたんです。表通りにはビルが建ち並んでいますが、一本裏に入ると古美術商や画廊が集まる通称「骨董通り」があり、アートの香りに溢れた街です。

戸田建設は、アーティゾン美術館の運営母体である石橋財団やビル事業者の永坂産業と連携してこの街区を再編し、芸術文化拠点とする特区申請を東京都にしていました。これが認められれば、街はさらに賑わうだろうと思いました。京橋は東京駅から徒歩10分足らずで銀座や日本橋にも近い。「都心ビル内型のミュージアム」をつくるのに、こんな便利なところはないと思ったんです。

中山三善館長 インタビュー の画像

――このエリアは昔とだいぶ様変わりした感じでしょうか

中央通り側はすっかり変わりました。昔は9~10階建てが標準で、高いビルはありませんでした。今のような高層ビル街になったのは、高さ制限が緩和されてからですね。一方、一本裏の通りは所有権が細かく分かれているためか、昔と大きく変わっていません。

私はブリヂストン美術館退職後に、初代の東京ステーションギャラリーの主任学芸員を経て、骨董通りにある古美術商の繭山龍泉堂の斜め前に小さな事務所を構えました。ブリヂストン美術館時代からだと通算10年くらいはこのエリアの住人でした。しばらく離れていましたが、またご縁ができたので、まるでホームに戻ってきたような感覚です。今では「京橋彩区」という名称のエリアマネジメント活動が行われており、芸術文化の街としてさらに発展して行くと思います。

――これまで美術館のコンサルタントのお仕事をたくさん手掛けられたそうですね

はい、建築設計だけでなく、運営面でも多くの新設美術館の開設に携わってきました。足利市立美術館(栃木県)、植田正治写真美術館(鳥取県)、浜田市世界こども美術館(島根県)などです。これらには、東京ステーションギャラリーの立ち上げで得た経験が生きています。「東京駅の赤煉瓦駅舎内に展示施設をつくりたい」という相談がJR東日本からブリヂストン美術館にあり、一番若手の学芸員だった私が担当することになって、設計段階からお手伝いすることになりました。動線計画や空調など、美術館に必要な機能をJRの担当者と一緒に考えたのです。ギャラリーに改装した場所は、車掌さんの控室として使用していましたが、白い漆喰壁をはがして煉瓦の構造壁を露出するなどの提案をしました。

その後、2002年に森ビルに入社し、六本木ヒルズの森美術館や展望台の開業準備業務に携わり、同社の取締役や森アーツセンターギャラリーのディレクター(館長)も務めました。


◇インタビューの第二回は、美術館のコンサルタントとしての目で、CMTのすごさや、目指す施設の姿を語ります。